「山が動いた」 ― 2021/05/21
1989年参院選挙で、社会党委員長土井たか子は、「山が動いた」と言って、社会党は大躍進を成し遂げた。
写真は、この時のエピソードが含まれる本である。
この年、土井委員長は参院選挙のために佐賀の地を訪れた。
私は、身辺警護のために動員ですぐ近くで彼女を見守った。
土井委員長と握手した写真がどこかにあるはずである。
この本を借りたのは、私の人生の一ページとのかかわりがあるからにほかならない。
この「山が動いた」の名文句は与謝野晶子「青鞜」創刊号巻頭詩である「山の動く日来る」からとったという。
それは、土井たか子の議員会館の部屋にかけていた書家の金子鴎亭が書いたものからとったそうである。
当時、この額を与謝野馨(与謝野晶子の孫)に披露したと(p124)。
※
山の動く日来る、
かく云えど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜずともよし、
人よ、ああ、唯これを信ぜよ、
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。
照ノ富士、逸ノ城を下した。一方、貴景勝は遠藤に負けた。
照ノ富士、連続優勝へ王手!
写真は、この時のエピソードが含まれる本である。
この年、土井委員長は参院選挙のために佐賀の地を訪れた。
私は、身辺警護のために動員ですぐ近くで彼女を見守った。
土井委員長と握手した写真がどこかにあるはずである。
この本を借りたのは、私の人生の一ページとのかかわりがあるからにほかならない。
この「山が動いた」の名文句は与謝野晶子「青鞜」創刊号巻頭詩である「山の動く日来る」からとったという。
それは、土井たか子の議員会館の部屋にかけていた書家の金子鴎亭が書いたものからとったそうである。
当時、この額を与謝野馨(与謝野晶子の孫)に披露したと(p124)。
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山の動く日来る、
かく云えど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜずともよし、
人よ、ああ、唯これを信ぜよ、
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。
照ノ富士、逸ノ城を下した。一方、貴景勝は遠藤に負けた。
照ノ富士、連続優勝へ王手!
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