今、雨が。。。 ― 2010/12/03
12月1日から、朝の歩きを再開した。 足首の痛さが少しやわらいだから、歩くことにした。 ただ、歩く距離ではなく、1時間の歩きとした。
今朝から、午前5時45分に目覚ましをセットし、6時少し過ぎに玄関を開けたら、なんと昨日から降り続けていたらしい雨が降っている。
すっかり歩く身支度をして、いざ「歩かん」の気勢をそがれた。
明日はどうだろうか?
ある劇! ― 2010/12/05
市内の中学2年生の「劇」を鑑賞した。
「ハンセン氏病」を題材にしたもので、会場にも見えたハンセン氏病患者(阿部智子さん)の原作や彼女から聞いたこと、研究の成果を織り交ぜた、中学2年生の作品とは思えない出来栄えであった。
アンケートに記入した文字が震えていた。
松本清張の映画「砂の器」(1974 松竹)を、『らい病』を持つ親とその子の当てもない旅をおり混ぜて描いているのをつい最近見た。
奇しくも、日を経ずして今日の「寸劇」鑑賞となった。
彼らの劇は、学校生徒の家族への「ハンセン氏病」アンケートのデータにも裏打ちされたものであったので、説得力に満ちていた。
劇前段の90分に及ぶ講演にも遜色がないものであった。
今は、人権週間(12月4日から同月10日まで)である。
阿部智子さん(12月4日付佐賀新聞)
初冠雪 ― 2010/12/09
43回目 ― 2010/12/10
12月10日は、結婚して43回目となる日である。
私ら夫婦は、なぜか今年の12月10日の意味を感じ取っていた。 最近の12月10日では、あまりなかったことである。
ささやかな食事で終わった。
孫からの電話は、結婚43年を振り返えさせるに十分であった。
12月13日 ― 2010/12/13
こんな川柳があるそうな。
江戸では12月13日、煤払いをしたらしい。 そこでに一句。
あくる日は夜討ちと知らず煤をとり
注連縄つくり ― 2010/12/27
今朝は、朝から少し霙交じりの天気であった。
注連縄は、年に2回作る。 12月は、新年を迎えるため。 あとは8月で。 村の伝統行事のために。
地区によっては、12月だけの所もある。
注連縄には、良質の藁が必要である。 この藁の確保が次第に難しくなってきている。 コンバインでの稲の収穫が一般的になってきて、よほど心しておかないと、注連縄用の藁の確保ができなくなる。
宮総代のもとで、鳥居用とお堂内の注連縄ができる。
縄も手で編むのである。
昨年1月に、注連縄つくりの名人が他界した。 彼の腕前に達したものがいない中での注連縄つくりである。来年の夏に向けて、注連縄つくりはどうなることやら。
年賀状 ― 2010/12/28
年賀状の作成がやっと終わった。 我々夫婦、義父それに母の分である。 義父は、歳が進んで96歳であるので、自筆の賀状ではないし、母もまた90歳なので、添え書きをするだけである。 我々のものは、添え書きがあったりなかったりである。
左の写真は、2011年元旦(辛卯歳旦)のための作品である。
紅白歌合戦 ― 2010/12/31
今年のNHK紅白歌合戦は61回目という。 私はいま68歳だから、その歴史は長い。 北島三郎は、47回目の出演だそうで、歌手生活の長さに驚かされる。
今、この番組を聞きながらこのブログを書いている。
私は、歌番組を殆ど見ないので、特に若い歌手(グループを含めて)を全く知らない。 ただ、アンジェラ・アキさんは、「手紙」で感動させられたので、「輝く人」は見た。 早速、楽譜を取り寄せたく思った。
このようにして、番組は進行している。
中には歌詞を間違えたりもする。娯楽番組であると割り切ってみていい。
今、森進一の「襟裳岬」が終わった。ニュースの時間。
今年もあとわずかとなった。
連れ合いとの会話>>>>ことし、何か印象深いものがあったか>>>>ない、ね!>>>>
確か1957年ごろ、映画「張り込み」のロケが佐賀市であった時、高峰秀子さんをじかに見た。彼女が12月28日に亡くなったと知った。ご冥福を祈ろう。
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